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コラム
山洋電気の歩みと技術革新(7)

工場焼失を乗り越え,さらなる進化へ―無停電電源装置の躍進

History
歴史

山洋電気は,冷却ファンやサーボシステム,ステッピングシステム,UPS,太陽光発電システム用パワーコンディショナなどの製造・販売で知られる電気機器メーカーです。1927年(昭和2年),黎明期の無線通信機分野におけるパイオニアとして創業した当社は,戦中・戦後の混乱を乗り越え,卓越した技術力を武器に順調に復興を果たしました。一方で国産初のサーボモータの開発に成功するなど,新たな分野へ意欲的に進出することで,日本のエレクトロニクス市場の躍進を支えていきます。

主力工場焼失…全社一丸となった努力により2か月で復旧

1960年(昭和35年)6月4日未明,当社の上田工場に突然火の手があがりました。すぐに近くに住む社員が駆けつけて消火にあたりましたが,風が強いうえ木造だったので火の勢いは衰えず,生産の中心となっていた工場棟が全焼してしまったのです。

分身ともいえる主力工場を失い,一瞬のうちに会社存亡の危機に立たされることになった社長の山本秀雄(当時)は,それでも無念の思いを吹き飛ばし,社員たちとともに全社一丸となり復旧に奔走。その結果,わずか2か月足らずで復旧を果たし,最悪の事態を乗り越えることができました。

好調な電電公社向けの製品,「優良」と認められ納入増加

当時,当社の電源部門は,電電公社用の各種電源で着々と成果をあげていました。そのひとつが,通話時間数をカウントする度数計用の電源で,直流電源を受けて51Vの直流に変換し,それを交換機に供給するものです。また,呼出信号用電源は,呼出音を発生させる装置用の電源で,直流電源を16Hzと400Hzの交流に変換して供給するものでした。

両方とも休みなく使われる装置なので,いずれも無停電で,しかも長期間の無保守運転に耐える性能が要求されました。たとえば「ツー,ツー」という発信音はカムの回転によって発生しますが,接点が荒れやすく表面に被膜ができ電気が流れにくくなるため,カムの形状を変えて摩耗を少なくする工夫を盛り込みました。努力の甲斐あって当社製品は優良と認められ,次々と電話局へ納入が決まりました。

「無停電電源装置」の躍進―国鉄,電力各社から石油化学工業まで

1956年(昭和31年),国産初の無停電電源装置を開発した当社は,電電公社向け同軸ケーブル用の「MGG方式(ブースター方式)」を独自開発したほか,「MMG方式」,「EG‐MMG方式」,「EMG方式」など各方式の「交流無停電電源装置」を手がけてきました。これは国鉄,電力会社をはじめ各方面に普及し,石油化学工業からも需要がありました。

当時は化学肥料製造用に水素ガスの生産が増加しており,石油化学会社は商用電源を動力に高圧化されたガスを操作していました。水素ガスは停電が10秒続いただけでも爆発するため,予備の電源を得るために各社は工場内に火力発電所を設けていましたが,これには莫大な経費と人手がかかるため,「交流無停電電源装置」が着目されたのです。

しかし,いままでの方式では,時間経過とともに周波数が落ちるという難点がありました。昭和電工からの要請で,「FES(フライホイール・エンジン・シンクロナスモータ・ジェネレータ)」と名づけた独自方式を開発し,特許を取得。これは4秒で交流発電機の速度を回復させることで周波数低下を防止するもので,昭和電工,日東化学工業などのほか,原子炉の制御機器として原子力研究所にも納入されました。

*MMG方式:停電時には蓄電池の直流電力で直流電動機を駆動し,フライホイールで慣性駆動していた交流発電機を回転させる。
*EG-MMG方式:MMG方式の商用電源側に自動起動停止のエンジン発電機を組み合わせた方式。
*FES方式:通常時は商用電源を経て同期電動機がフライホイールを回しているが,停電時にはフライホイールの慣性運転で,同期電動機がただちに同期発電機となって発電する。同時にエンジンも起動させ,誘導接手がエンジンと同期発電機を結合させる。

「停電は許されない」コンピュータ,放送局用にも相次ぎ採用

コンピュータは停電に対して万全の対策を講じなくてはならず,なかでもCVCF(定電圧一定周波数)であることが求められます。当社は「クレーマー方式」の無停電電源装置を開発し,東京大学大型計算センター,外務省,国税庁,電源開発,原子力研究所などの公的機関に納入し,蓄電池と電動発電機(モータ・ジェネレータ)を組み合わせた中容量のコンピュータ用の無停電電源装置を,八十二銀行本店や簡易計算機メーカー各社(横河電機,富士電機製造,北辰電機,島津製作所など)に納入しました。

また,放送の世界においてもその技術を認められ,NHK・民放各社に採用されました。放送局では瞬間的な停電も許されず,さらに録音・録画テープは精密にコントロールされているため,無停電電源装置には,迅速に働きかつ一定の速度を維持する確実な性能が求められたのです。

*クレーマー方式:商用電源で運転する誘導電動機の2次側を整流して同一軸上の直流電動機に供給し,定速制御する。

経営の基礎固めを終え,次なる飛躍に向け東証二部に上場

1962年(昭和37年)9月29日,社会に開かれた企業として飛躍するための準備として,当社は株式を公開しました。同年の売上高は半期5億円のラインに達しており,今後の業績の向上も確実視されていました。

戦後,社長の山本秀雄(当時)と専務の渡辺平蔵(当時)は,ともに不況に強い企業体質づくりへと努力を重ねてきました。また技術面では主力である通信機用電源をはじめ,自動制御回転機という新分野でも優れた製品を多数生み出していました。すでに当社の経営体質は基礎固めを終え,飛躍の時を待っていたのです。

公開日: 2017-01-07 00:00