上場を果たしてほっとしたのもつかの間,社長の山本秀雄(当時)は2度目の脳溢血で入院しました。さいわい間もなく回復しましたが,経営トップの若返りを決断し,自身は会長に退き,1964年(昭和39年)11月,第二代社長に長男の山本浩が就任しました。役員も大幅に入れ替え,当時42歳であった新社長を中心的な技術者が取り囲む形となりました。
1967年(昭和42年)に入るとわが国は高度経済成長期を迎えます。しかしこのころ,当社電源部門には回転形電源の存続にかかわる重大な試練が訪れていました。電電公社が“電源の静止形化”への動きを見せていたのです。
“電源の静止形化”とは,変換電源やバックアップ用電源を,従来の電動機や発電機などの回転機を使ったものから,半導体を用いた電力変換装置にすることです。それまでの回転形電源は,機械的調整や摩耗部分の取り替えなどの保守に手間がかかりましたが,静止形電源にはメンテナンス・フリー,装置の小型軽量化,高効率,高信頼化というメリットが期待されていました。
当社は,電電公社に度数計用電源や呼出信号用電源などを納入しており,また電力会社,放送局,国鉄でも「MMG方式」*,「MGG方式」*などの無停電電源装置が普及。さらにコンピュータ用電源にも無停電クレーマー方式*が着目されていました。もちろん当社の技術陣は,いずれ静止形電源が主流になることは予想していましたが,回転形電源がいよいよ“これから”という時期だったのです。
しかし,電電公社の新方針に従来から技術力を買われていた当社が応じられないとなれば,それこそ企業として危機的事態を招きかねず,開発関係者の不安はひととおりのものではありませんでした。
*MMG方式:停電時には蓄電池の直流電力で直流電動機を駆動し,フライホイールで慣性駆動していた交流発電機を回転させる。
*MGG方式:真空管同軸ケーブルに対応するため,同容量の交流/直流電力を供給する方式。
*無停電クレーマー方式(CMG):蓄電池を予備エネルギー源とし,定周波・定電圧電力を供給する無停電給電方式。
1963年(昭和38年)6月,当社は電電公社より“電源静止形化”の具体的方針を伝えられました。「第一段階として度数計電源(増圧用電源),搬送用電源,呼出信号用電源を静止形化する」というもので,一時入院しながら陣頭指揮をとっていた社長の山本秀雄(当時)は,「世の趨勢でもある。やれ! 研究開発費を惜しむな」と技術陣に檄を飛ばしました。
当社は21V50A搬送用電源のコンバータ化,および25W信号用電源のインバータ化を受け持つことになりましたが,最終的には,度数計用,搬送用,陽極用,無線用をそれぞれ3機種ずつと,信号用4機種の,合計16機種を開発することになりました。しかもすべての機種で導入要請に即応できるようにするため, 16機種すべての研究開発を同時にスタートさせなくてはなりません。また,電電公社への納入は,「量産品納入」の前に,「調査試験」「商用試験」という厳重な試作品チェックをクリアする必要があります。しかし,当時の大手重電各社は成り行きを見守っている段階だったので,当社技術陣の誰もが「この開発に成功すれば,わが国のトップランナーになれる」と感じ取っていました。
半年後の1964年(昭和39年)2月,当社は搬送用静止形コンバータの“試作第1号機”を電電公社電気通信研究所に「調査試験用」として納入しました。続いて同年8月には苦心の末に完成させた呼出信号用静止形インバータを「調査試験用」として群馬県沼田局に,また1966年(昭和41年)9月には度数計用静止形コンバータを「商用試験用」として徳島県脇町局に納入することができました。
そして1968年(昭和43年)5月,ついに当社は“量産品第1号機”となる陽極用静止形コンバータを広島県新市局に納入。続いて同年6月には度数計用静止形コンバータを愛知県豊浜局に,また呼出信号用静止形インバータを岩手県宮古局にそれぞれ納入しました。
量産に入った静止形コンバータは次々と全国の電話局へ納入されました。そして1969年(昭和44年)におこなわれた200台目の立会検査では,第1号機以来“欠点ゼロ”の光栄に浴し,その後も品質の安定が認められたことで,立会検査を免除されました。
公開日: 2017-01-08 00:00