サンエースとともにOA市場向けの主力製品であったステッピングモータは,昭和50年代の中ごろにはオフコン,パソコンブームを背景に,生産が活況を呈していました。さらに,1981年(昭和56年)には米国IBM社から大量の発注を得ました。
しかし,そのような好調な出足にも陰が差すこととなりました。IBM社は従来のような部品単位での外部発注だけでなく,OEM契約に基づきプリンタ,キーボードなど装置単位の発注方式も採用すると発表しました。これを機にわが国の大手電子機器各社はIBM社とOEM契約を結び,各種装置を輸出する動きに転換しましたが,IBMへ部品単位でステッピングモータを供給していた当社にとっては深刻な問題となりました。
そこで当社は,ステッピングモータの国内向け販売比率を50%まで高めることを目標に,生産体制の全面的な再検討と,効率化,コストダウンの追及を一斉に開始。そのような折,プリンタ市場では新たな動きが始まっていました。
当社のステッピングモータは,従来からコンピュータの周辺装置に多く用いられており,なかでも主力はプリンタ向けでした。当時の主流は「インパクト型デージー・ホイール・プリンタ」(*)でしたが,1981年(昭和56年)ころより低価格で印字速度の速い「ドット・マトリックス・プリンタ」が台頭してきました。これは点(ドット)の集合で文字を形成するために読みづらいという欠点がありましたが,沖電気は24ドットという格段に印字の質がよいドット方式のプリンタを開発してこの欠点をクリアしました。
このような高効率,低価格プリンタの出現は,OA市場の拡大に大きな役割を果たすとともに,ステッピングモータの国内市場を開拓していた当社にとって追い風ともなりました。
加えて,当社のステッピングモータは,プリンタだけでなく,コンピュータの外部データ記憶装置にも用いられるようになりました。従来のパソコンは,外部記憶装置としてフロッピー・ディスク・ドライブ(FDD)を搭載するのが普通でしたが,昭和50年代中ごろからはパソコンの高性能化と業務の拡大から,FDDだけでは記憶容量,速度とも不足するようになり,ハード・ディスク・ドライブ(HDD)搭載の機種が業務用を中心に普及してきました。
当社の技術陣はこのようなニーズに対応し,1979年(昭和54年)4月よりHDD用ステッピングモータの開発に着手しました。これには極めて小さなステップ角が要求され,ディスクの径も5.25インチ以下と,高度な精密工作技術が必要とされましたが,当社はそのための製造技術を十分に蓄積していました。
わが国のHDDの生産量は1983年度(昭和58年度)の26万台から,1987年度(昭和62年度)の212万台(電子振興協会調べ)へと急激な勢いで伸長し,HDD用ステッピングモータで先行した当社は,この製品分野におけるトップシェアを確保し,市場の急成長に大きな役割を果たしました。
*インパクト型プリンタ:印字ヘッドをインクリボンに叩きつけて印字する方式。タイプの活字が円盤のふちに花びら状に配置されている「デージー・ホイール・プリンタ」と,ヘッドから針が出て点を打ち,点の構成で字を描き出す「ドット・マトリックス・プリンタ」がある。前者は字の質を,後者は速度を重視している。
OAブームはその後もさらに沸きたちました。好況の米国では意欲的な設備投資が続き,わが国の電子工業界も活況に次ぐ活況で,生産が需要の増加に追いつけない状態でした。
当社も工場や機械設備の増強に積極的に取り組み,工場のリニューアルや最新鋭の自動化ラインの導入などにより,DCサーボモータ,ブラシレスサーボモータ,サンエースの生産を強化し,さらに1984年(昭和59年)年には,ステッピングモータの一貫生産ラインとして設計した青木工場(長野県小県郡青木村)を稼働させました。この新鋭工場は,敷地面積2万4,000m2,延べ面積1万m2を持ち,最新の設備導入により世界的にも誇り得るものとなりました。
一品料理的な開発と製造の伝統に生きてきた当社が,このような近代的量産工場群を持つにいたったことは,この市場の技術革新の速さと価格競争の厳しさを表していました。OA市場には石油,音響,計器などの異業種メーカーまでが次々と参入しており,当社としては工場の近代化,省力化を徹底し,市場競争に打ち勝つ必要があったのです。
公開日: 2017-01-13 00:00