山洋電気はわが国で初めてDCサーボモータの国産化を果たしましたが,NC工作機械の分野では電気・油圧パルスモータの後塵を拝していました。一方で,主要顧客である電電公社向けの電源が“回転形”から“静止形”へ転換したために回転機工場は主力生産品を失い,長年培ってきた回転機の技術を生かす施策が求められていました。
1969年(昭和44年)に同期型の小型DCサーボモータを開発した当社は,近いうちにNC工作機業界でもDCサーボモータが注目されるという確信のもと,大型DCサーボモータの開発とFA業界へのアプローチを続けました。そして1973年(昭和48年)11月,アルニコ・マグネットを用いたNC工作機用のDCサーボモータ第1号機を,沖電気と新潟鉄工に納入し,また翌年末には,後の量産シリーズの基本をなすフェライト・マグネットを用いたDCサーボモータ3機種の開発を完了しました。
当社の確信は,第一次石油ショックによって現実となりました。石油価格の高騰により油圧源を要する電気・油圧パルスモータが敬遠されるようになり,代わってDCサーボモータが脚光を浴びる時代が到来したのです。
当社はこうした動きに即応し,1975年(昭和50年)4月に低速度,高トルクDCサーボモータ『スーパードライバー』シリーズを完成させました。また,ステッピングモータを用いたテープリーダを相次いで開発し,大隈鐵工所,三菱電機,安川電機などのNC装置に採用されることで,NC工作機業界に強固な足場を築くことに成功しました。
昭和50年代中頃,電機・自動車メーカーは相次いで製造現場にロボットを導入しており,産業用ロボットのメーカーやユーザーより「ロボットの関節を動かすアクチュエータ用に,小型軽量でトルクが大きく,センサや減速機も付帯させられるサーボモータはないか」といった相談が寄せられるようになりました。
多くの要望を受けた当社は,産業用ロボット専用のマグネット型DCサーボモータの開発に踏み切り,1980年(昭和55年)に『スーパーU』を発表しました。この製品は日経産業新聞の「’81ヒット商品・有望商品調査」の生産財部門でベスト10に選ばれました。リリースから間もない時期だったので開発担当者は不思議に思いましたが,後に,ユーザーからの高い評価が選定に反映されたことがわかりました。
自信を持った当社はマグネット型DCサーボモータをシリーズ化しましたが,ブラシ摩耗によるメンテナンス面での難点を抱えており,1976年(昭和51年),この欠点を解消するためにブラシレス化の研究に着手しました。
そのような折,米国エレクトロクラフト社(EC社)から技術提携の話が持ち込まれました。当社はブラシレス化の実現に自信を持ち始めていましたが,EC社はすでにブラシレスサーボモータを開発して製造段階に入っていました。当社としては,EC社の技術を導入した方がより確実であるという経営判断から独自開発を中断し,1979年(昭和54年)2月,同社と技術提携契約を締結しました。
ブラシレスサーボモータは画期的な技術だったため,製品化にあたっては慎重に開発を進め,1980年(昭和55年)の日本工作機械見本市で発表しました。『BLスーパーサーボシステム』と名付けられたこの製品は,特に宣伝をしなかったにもかかわらず大きな関心を集め,同年10月には川崎重工業へ大量供給が始まりました。
1978年(昭和53年),当社はトヨタ自動車より,自動車製造ラインのロボットの停電対策について打診を受けました。ロボットは停電するとマニピュレーターの位置が狂うため,正常な動作を回復するためにオペレーターが何十台ものロボットを原点に戻さなければならず,復元に時間がかかり莫大な損失を生みます。トヨタ自動車からの話は「停電時にロボットを自動的に原点に戻す特殊なサーボ機構を協同で開発できないか」というもので,1980年(昭和55年),『ABS(アブソリュート)センサ』の協同開発プロジェクトが発足しました。
世界初の試みのため開発には時間を要しましたが,プロジェクトに関わったメンバーは忍耐強く研究開発に取り組み,ようやく1984年(昭和59年)8月に『ABSスーパー』と名付けられて出荷されました。このシステムには,当社のブラシレスサーボモータとABSセンサが採用されました。同プロジェクトは,その後もより高性能なシステムを追及するために継続され,各種ABSセンサが正式承認を受けました。
ABSセンサの開発でサーボシステムの“高付加価値化”を実現させた当社は,マイコン制御によるデジタルコントローラ『サンディック』をはじめ,サーボシステム用高分解能エンコーダや,ブラシレス・タコジェネレータ,フォトエンコーダ用カスタムICなど,FA向けの製品開発を続々とおこないました。
公開日: 2017-01-14 00:00