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コラム
山洋電気の歩みと技術革新(16)

OA/FA市場に急ブレーキ,「淘汰の時代」へ

History
歴史

山洋電気は,冷却ファンやサーボシステム,ステッピングシステム,UPS,太陽光発電システム用パワーコンディショナなどの製造・販売で知られる電気機器メーカーです。1927年(昭和2年),黎明期の無線通信機用発電機におけるパイオニアとして創業した当社は,戦中・戦後の混乱から高度経済成長期~石油ショックという激動の時代を経て,卓越した技術力を武器に,OA化・FA化にいたるわが国のエレクトロニクス産業を支えていきます。

急成長のOA市場を突然襲った「コンピュータ・スランプ」

1984年(昭和59年)の終わり,それまで毎年二桁の上昇率を示し,急成長産業の名をほしいままにしていたOA関連産業に,突然陰りがさしました。

半導体技術の急速な進歩は,OA市場に未曽有の急成長をもたらしましたが,製品のライフサイクルは短くなっていました。次々と登場する新製品は,確実に従来の製品よりも高性能で,しかも低価格だったので,ユーザーはより魅力的な新製品の発表を期待してしだいに買い控えの気持ちを強くしていきました。これが予想外に大きく作用し,新製品の販売が期待したほど伸びないことが多くなってきたのでした。
どのメーカーも短期間での新製品開発に全力を投入する一方,すぐに陳腐化する製品の在庫に頭を痛めるようになりました。

業界各社はそれまで,急激な需要の増加から増産に次ぐ増産をおこなっていた最中だったので,この買い控えによる急ブレーキはまったくの誤算でした。この状況は当時,「コンピュータ・スランプ」と呼ばれました。

OA市場の落ち込みは,当社の製品にも少なからぬ影響をおよぼし,HDDやプリンタ用のステッピングモータ,冷却ファンなどの受注が減り,追い討ちをかけるように価格競争が一段と激化しました。

「貿易摩擦」と「円高」に泣いたFA市場

OA市場の需要減により,たちまち半導体製品はダブつき,値崩れした製品は海外市場でのダンピングを招き,くすぶり続けていた「貿易摩擦」に火をつけるきっかけになりました。

また,半導体製品の落ち込みは,半導体製造装置やそれに関連するFA機器の需要までをも冷え込ませました。加えて,昭和60年なかばごろからじわじわと円高が進んだことで,工作機械業界や電子機器産業などは,輸出の不振によって大きな打撃を受けることに。

国内市場における設備投資意欲の落ち込み,貿易摩擦,円高という「トリプルパンチ」に見舞われたFA市場は,それまでの好調が嘘であったかのように冷え込み,企業の倒産が相次ぎました。

当社のFA関連製品―サーボモータ,各種センサ,サーボアンプ,デジタルコントローラなども,この不況の波を受け1985年(昭和60年)ごろから低迷するようになりました。

OA/FA市場同時不況~「淘汰の時代」が到来

このように,OA市場とFA市場の両方を同時に襲った不況は,当社にとっても決して生易しい試練ではありませんでした。

しかし,OA市場の落ち込みは,何よりも新しい製品を期待するユーザーの買い控えから起きた事態でした。事実,OA関連の展示会やショーは頻繁に開催され,大盛況を呈していました。今回の不況は,上昇基調のなかでの一時的なものであるという意味で,「階段の踊り場現象」とも言われました。

当時,OA化の進んだオフィスはまだごく一部でしたし,人件費の高いわが国や先進諸国では,OA化による省力化や効率化がこれからも続くことははっきりしていました。
また,製造業におけるFA化の推進や半導体技術の進歩など,市場の成長が期待されました。

一方で,日本製品は国際競争力が高く,これが円高と貿易摩擦の要因となっていました。また,技術の進歩は早く,競争はし烈化していました。さらに,途上国は先進諸国からの技術導入と安い人件費をバックに,低価格を武器にした製品供給を始めており,国内企業も海外への工場進出によりプライスダウンを図っていました。

この「競争激化」「供給過剰」「成長下の不況」という3つの状況から,強い企業だけが生き残り,より力を強くする「淘汰の時代」が到来しました。

「山洋生き残り作戦」によって生産現場を改革

このような状況のなか当社は,次のように進むべき方針を策定しました。

1.不況とはいえ成長が望める市場なので,従来からの方針を変えずにしばらく忍耐が必要。
2.製品の競争力を維持するためにも,技術開発にはより多くの力を投入し続ける。
3.蓄積した技術をもとに,当社独自の特色を持った高性能・高付加価値製品を作り出す。
4.途上国からの製品,海外生産による製品などに対し,従来以上の価格競争を意識する。

これらの方針のもとに,当社は全社的に「山洋生き残り作戦」を展開しました。この運動は「どうすればいまよりよくなるだろうか」と社員一人ひとりが考え,意見を言い,実行しようというもので,特に生産現場において,納期短縮,工数低減,不良率の低減といった大きな成果をあげました。

公開日: 2017-01-16 00:00